スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサーリンク

認知症患者を安楽死させるのは可能か

 声優の大山のぶ代さんが認知症を患っていることが判明しました。
ドラえもんを降板してからもゲームのキャラの役を務めており、現役バリバリというイメージだったので、認知症だったというのは非常にショックです。
認知症というのは、定年退職した無趣味の人がなるイメージがこれまでにあったが、どうやらそうではないようだ。
僕の身の回りでもなった人がいるが、その人もそのイメージには当てはまらない。

 認知症になった配偶者の介護で疲れ切って、それを苦にした殺人・心中事件も何件も起こっている。
介護するにはお金が必要です。有料老人ホームに入れれば親族の肉体的・精神的負担は減るが、経済的負担は増える。
そもそも老人ホームは定員が一杯で、受け入れ可能な所を探すのにも苦労します。

 人間は必ず死にます。死そのものではなく、死に方、晩年の過ごし方が重要だと僕は思う。
栄養チューブや人口呼吸器に繋がれてまったく身動きのできない年寄りや、記憶をほとんど忘れ身近な人を傷つける年寄りは、生きているのではなく生かされているという状態だ。
健康な頃とすっかり見違える姿になってしまったために、苦しみ、嘱託殺人などの事件も起こってしまいます。

 このような悲劇を防ぐためには、いっそのこと「死なせてあげる」という考え方も必要になってくるかもしれない。
今回は、安楽死について書こうと思います。


 安楽死(euthanasia)という言葉は、「良い死」を意味するギリシャ語からきています。苦しみのない安らかな死だ。
重病を患い、生きる希望を失った患者が安楽を求めて、自分から死ぬというのは自殺だ。
安楽死とは医者など他の人の手によって患者が死ぬことである。「殺す」のではなく「死なせてあげる」くらいのイメージですね。
 また、安楽死は患者本人の意志が尊重されることも大前提となります。
ナチス・ドイツの時代に優生学に基づく安楽死政策が行われた。精神病患者や障害を持った人が本人の意志と関係なく殺されたもので、これは安楽死でもなんでもない。
本人の意志を前提に様々な条件をクリアして初めて安楽死となるのだ。

 日本における安楽死を語る時に、主な判例が二つあります。
1962年の名古屋高裁の判決と、1991年の横浜地裁判決だ。それぞれ詳しい事件内容は省く。
62年で「安楽死の要件」が示され、91年でそれがまとめ直されています。91年の要件を見ると
  1. 患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること。
  2. 患者は死が避けられず、死期の直前であること。
  3. 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くして、他に代替手段がないこと。
  4. 寿命の短縮、今すぐの死を要求する患者の意思表示があること。
となっている。患者の意思表示はやはり絶対条件なのです。

 また、安楽死を三種類に分類した見方も出されています。
  消極的安楽死…苦しむのを長引かせないため、延命治療を中止して死期を早めること。
  間接的安楽死…苦痛を除去・緩和する措置をとるが、その行為が死を早める可能性があること。
  積極的安楽死…苦痛から免れるために、意図的に死を招くような措置をとること。
消極的安楽死は、例えば栄養チューブをひっこ抜いたり人口呼吸器を外したりすることです。
間接的安楽死は痛み止めの副作用みたいなものです。
この二つは今の日本でも実際にある話である。
そして議論となっているのが積極的安楽死なのだ。

 「苦痛・苦しみからの開放」という点では、尊厳死(death with dignity)も似たことだ。
生きるか死ぬかを本人の自己意志で決定するというのは、生命の尊厳のひとつという考え方です。
アメリカのオレゴン州では尊厳死が合法化されており、2014年に重病の29歳の女性がインターネット上で「尊厳死をする」と宣言し、医師と家族に囲まれながら薬を飲み、死を迎えました。
これは積極的安楽死で、ネット上では様々な意見がぶつかり合ったようだ。

 最も安楽死と向き合ってきた国は、オランダだ。
2001年に安楽死法が施行されたが、これには背景がある。
オランダでは家庭医という制度があって、要はかかりつけの医者のことだ。
体に不調が出たらまずは家庭医に診てもらい、そこから必要に応じて大きな病院を紹介してもらったり専門家を紹介してもらう。
医者と患者の距離がものすごく短いです。だからこそ、安楽死について積極的に考えられてきたのです。

 さあ、ここまで見てきましたが「現在の日本における認知症患者と安楽死」について考えましょう。
話の中心は積極的安楽死です。そして安楽死の絶対条件は「本人の意志があること」です。
…無理だ。認知症患者に対応能力があるとは言えませんから。
もし、親族の好き勝手に安楽死を実行できるのであれば、遺産目当ての安楽死も起こりそうだ。それこそナチス・ドイツみたいです。

 という事は、本人が健康な内に意志を明確にする必要がある。
いわゆる生前の意思(リビング・ウィル:living will)というやつだ。臓器移植の意志や埋葬方法も対象だ。
しかしどうだろうか?自分の死に際や死後のことを考えるのは誰だって嫌だろう。
そのために遺書を用意せずに、相続争いが山ほど起こっている。
遺産配分を記した遺言書すら書かないのに、果たして安楽死にまつわる文書を書くことができるだろうか。
しかも今の日本は医療問題が山積みで、オランダの家庭医なんて真似できる訳もなく、リビング・ウィルなんて程遠い。

 という訳で、今の日本で認知症患者に対し積極的安楽死を行うのは、不可能です。
安楽死というのは、医者と患者の信頼関係が成熟した社会でのみ成り立つのだと思う。
メディアでは健康寿命を伸ばそうなんてことを言われているが、死ぬことの重要さを強調しなければならない。

 人間の死は誰しもが経験することのはずなのに、あまり考えられていないようだ。
僕は人の死について興味を持っていて(サイコパス的な意味ではなく)、大学の教養科目でもそこら辺関連の授業を取った。
「老老介護殺人なんてイヤだし、安楽死なんて認めちまえよ~」なんてノリでしたが、授業を受けてみてそんな軽い話でないことが分かって反省しました。
これからも人の死にまつわることについて考え、書きたいと思います。
僕はこれをライフワークにするつもりです。

参考図書
生命倫理学入門第3版 [ 今井道夫 ]
関連記事

スポンサーリンク

コメント

 こんばんは。私も安楽死について書いた「高瀬舟」を読んで記事を書いたばかりなのですが、この記事では認知症の方の安楽死について考えられたのですね。たしかに本人の意志の問題が難所ですね。勉強になります。

 私も生と死について扱う講義を昨年受講していました。講義ごとに講師が違うオムニバス形式だったのですが、回ごとに先生のスタンスが違って、それが問題の複雑さを示しているようでした。

 話は変わりますが、先日上がっていた「板書をスマホで・・・」の記事と「量産型女子大生」の記事があるあるすぎて抱腹絶倒でした。大学生をやっている私がいうのもなんですが、大学生って気持ち悪い生き物だと思います 笑。この「大学生あるあるシリーズ(?)」は他にもあったら読みたいです。

> おともだちパンチさん

高瀬舟の記事読みました。実際に起こった事件に関する書籍を紹介するというのは、読書の参考になります。
100年前の文学作品とまったく同じような事件が起こったというのを読んで、安楽死や尊厳死についてほとんど議論が進んでいない現状を再認しました。
講義で、オランダで実際に起こった安楽死のケースのドキュメンタリーを視聴したのですが、人の命を終わらせるというのは、一言で表現出来ないほどの重みがあると感じました。

 あるあるシリーズは今後もやっていきたいですね。
大学生は不思議でおかしいところが一杯あるので(お前が言うな)、ツッコんでいきたいです。

初めまして、吉川響と申します(^^)

安楽死に限らず、『死』そのものはとても難しいテーマですよね。考え方や捉え方が多様すぎて・・・。

重病で、痛くて、辛くて、もう生きていたくない、楽になりたい・・・そう思ってしまう気持ちはなんとなく理解できるんです。この苦しみから逃れたいと、この苦しみに耐えてまで生きる意味はあるのかと、そう思う気持ちは。

でも、私はやっぱり生きていてほしいって思っちゃうんですよね。それが本人の意思を無視した、自分勝手なエゴだと分かっていても。それを望むのが家族や友人、大切な人なら・・・なおさら。

「本人が望むなら」と思って了解したけど、そこで反対しなかった自分は冷たい人間ではなかろうか、とか分かっていても大きな喪失感がぬぐえなくて・・・今度はその人が体調を崩してしまう、とか。そう考える家族の方もいるような気がします。

そう考えると、安楽死って本人だけでなくて・・・残される側の家族の事も考えないといけないような気がします。決めるのは自分であっても、周りに多大な影響を及ぼす事ですから・・・身近な人とはきちんと話し合った方がいいと、この記事を拝読して思いました。

ですので、コメントさせていただきました。お粗末さまでしたm(__)m

Re: タイトルなし

>吉川響さん

 はじめまして、コメントありがとうございます。
「死」というのは誰もが経験する事ですが、その経験をした人はもちろん議論ができません。
死後の世界、とやらがあるかは分かりませんし宗教の分野に近いテーマですが、「誰もが経験するけど、経験した人はこの世に居ない」というのも、進んだ議論ができないひとつの理由だと思います。

>そう考えると、安楽死って本人だけでなくて・・・残される側の家族の事も考えないといけないような気がします。決めるのは自分であっても、周りに多大な影響を及ぼす事ですから・・・身近な人とはきちんと話し合った方がいいと、この記事を拝読して思いました。
 当人が死に方を選ぼうとしても、その親族と考えの違い、齟齬があったら良い話し合いもできません。
まさに多様な捉え方がありますから、話し合えば話し合う程結論が遠のく感すらあります。

 「これがマル!せいかい!」なんて正確な答えはありませんので、様々な文献を読んだりして自分なりの考えを磨きたいと思います。
非公開コメント

プロフィール

大学生
野球、アニメ、カメラに興味
読売ジャイアンツ/東京六大学野球/東都野球/ニコン など
ブログにテコ入れをはじめました

【Twitter】@blmtpeter
お問い合わせはコチラ→blmtpeter☆gmail.com
About



にほんブログ村 大学生日記ブログへ
にほんブログ村


FC2カウンター

Twitter

バロメーター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

全記事表示リンク

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
2038位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大学生
45位
アクセスランキングを見る>>

QRコード

QRコード

広告

はてなブックマーク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。